40代にもなれば、これまでに失敗したことがない人は、いないですよね?
大きな失敗はしなくても、小さな失敗なら、誰でも沢山しているのではないでしょうか。
例えば、「朝乗ろうと思った電車に乗れずに、少し遅れてしまった」など、比較的「小さな失敗」ならば、その失敗に負けないということはそんなに難しくないかもしれません。でも、心の状態が不安定な時に失敗してしまうと、くよくよしてしまいますよね。そうすると、小さな失敗なのに、気付いたら、その小さな失敗に支配されて、くよくよした状態から抜けられなくなってしまうということにもなりかねません。
ですから、小さな失敗でも、その失敗に負けずに切り返して、心を保つということを心がけてみると良いと思います。
そして、大変なのは比較的大きな失敗をしてしまったとき。
たとえば、
転職に失敗したとき
事業に失敗したとき
投資に失敗して負債を負ってしまったとき
思春期の子供とのコミュニケーションに失敗して子供が不登校になってしまったとき
このような大きな失敗をすると、若い頃ならば、やり直しの時間も沢山あるのに、40代になるとやり直しの時間が例えば20代の人と比べたら短い(と感じる)ので、本当に厳しく感じます。
子供のコミュニケーションの問題の場合は、子供の一生にもかかわってきますから、悔やんでも悔やみきれなくもなります。
こんな「大きな失敗」「取り返しがつかない(と思われる)失敗」をしてしまったときは、どうしたらいいのでしょうか。どうやったら、「失敗」に負けないことができるのでしょうか。
その時はベストを尽くしたんだから、次にどうしたらよいかを考える
誰でも、失敗をしたくてするわけではありません。何か選択をするときは、「これが良い」と思って選択しているはずです。
その結果、失敗してしまったとか、あとでそれが失敗だったと気づいた、と言う場合、あなたは、選択する段階で「失敗」をしていたのでしょうか。
いえ。
少なくとも、選択した段階では、失敗していなかったはずです。
これが良いと思って選択したのならば、その時のあなたの判断は正しい。
だから、その結果として、思うような結果にならなかった時に「失敗した」と思うのですが、結果の失敗にくよくよしないことです。
転職が失敗したとしても、その会社に入ろうと決めたときは、成功だったはず。
事業に失敗したとしても、事業を起こしたときは、成功だったはず。
投資に失敗したとしても、その投資をすると決めた時は、それが一番良いと思ってやったはずなんです。
だから、「結果」として起きてしまった「失敗」に支配されないでください。
自分を責めないでください。
これは、私が、投資詐欺にあい、自分の資産関係を見直しに銀行に行ったときに、長年私を担当してくれていた方に言われたことです。
「その時は、良いと思ったんですよね。それなら、それで仕方がない。今、命があってよかった。まったくなくなっちゃったわけじゃないでしょう?大丈夫。もう、あのお金はあの時に使ったんだから、追わなくていいんです。今から始めればいいの。一生懸命働いて、お金を作って、少ししたら、いくら貯まった、もう少ししたらこれだけ貯まった、ってその時その時の基準で成長していけばいいんですよ。」
「なくしたものを追いかけないで」
「失敗したって、あなたはあなた。何も変わりはないのです」
もし、いま、あなたが「あの時こうしていればよかった。失敗しなかったのに」とくよくよ悩んでいるとしたら、あの時のあなたを、もう責めないでください。
あの時のあなたは、正しかったのです。だから、今のあなたから、どうやったら将来をよりよくできるかを考えればよいのです。
そういうふうに考えると、「失敗」なんて、実はないのかもしれません。
「何かをやる」⇒「期待通りにならなかった」⇒「じゃあ、次はどうしよう」⇒「こうやってみよう」⇒「なかなか良い感じにいってるじゃないか」
そういう繰り返しでよいのだと思います。
失敗したのではなくて、うまく行かない方法を発見しただけ。次にいけばいい。
天才発明家トーマス・エジソンは、電球の発明をするまでに、2万回もの「失敗」をしたと言われます。でも彼は、それを「失敗」とは言わなかったそうです。エジソンが言ったのは、こういうこと。
私は失敗したのではない。2万通りの、うまく行かない方法を発見したのだ。
なんという金言なんでしょう。なんというポジティブ思考なんでしょう。
だから、あなたも大丈夫。「失敗」に負けないでください。今は、「成功するための過程」ととらえればよいのです。この方法ではうまく行かない、ということを学んだだけ。
「死ぬこと以外かすり傷」という言葉があります。エッセイストの山崎拓己さんが初めて言ったそうです。
確かに、今、大きな失敗に打ちひしがれている場合は、なかなかそんなふうには思えないかもしれません。
でも、生きている限りは、かならず良いこともあると思います。大丈夫。「失敗」したって、生きている限り、失敗に負けずに立ち直ることは必ずできますよ。