「理想」に負けない

あなたには、「理想」の人生がありますか?

たとえば、「大好きな人と結婚して、幸せな家庭を築き、2人の子供達は優秀で、素直。夫婦で協力して仕事をして、豊かな生活だし、みんな健康。年に1度は海外旅行を楽しみ、大きな家に住んで、時には外食を楽しんだり、庭でバーベキューをして豊かな夏の夕方を過ごしている」とか。

そうして、今の自分の現実と比べて、「理想」とあまりにかけ離れていることで、悲嘆にくれていませんか?

そうだとしたら、「理想」に負けない、ということを意識してみると、今の自分でも十分に幸せだということに気付くかもしれません。そして、ある意味、別の「理想」どおりの暮らしをしていることを嬉しく思うかもしれません。

ここでは、高すぎる理想に負けずに、手の届く理想を実現していくことで、幸せで平穏な日々を取り戻すヒントをお話したいと思います。

「理想」に負けていた私

今は、家族の笑顔、日々の平凡な暮らし、好きと言える仕事、少しだけゆとりができた経済状況の中で、平穏な毎日を送らせていただいている私です。でも、45歳で無職になったときは、「どうしてこんなふうになってしまったんだろう。。」という「不満」の渦の中にいました。

振り返ってみると、大学を卒業して、氷河期と言われる中でも、総合職として中堅企業に就職。転職して外資系企業へ。プライベートでは、学生時代からの彼と結婚、2人の子供達にも恵まれ、順風満帆のように見えた20代~30代前半でした。

でも、夫の不貞により結婚は破綻。実家へ帰ったものの、もともと勤務していた会社へ2時間以上かけて新幹線で通う日々。それも、リーマンショックでリストラ。そんな崖っぷちから這い出すには、資格を取るしかないと、必死に勉強して合格率7.6%の関門を突破して国家資格を取得するも、次にその資格を生かして転職した会社ではパワハラに合い、メンヘル寸前。次に、逃げ出すようにして転職した、世間一般では安泰とみられている大会社では、最初からまさかの県外赴任。幼い子供を親元に預けて単身赴任をしました。

その後も、苦手な仕事を我慢して続けること9年。途中、突然の長期出張辞令や、連日の長時間労働等。。

「どうして私ばかり。。」といつも思っていました。常にストレスを抱えているものだから、家に帰れば職場の愚痴ばかり。そして、家にいても、SNSに表面だけのキレイで幸せそうな投稿しては「いいね!」の数を数えて自分の存在価値を確かめていたり。

勉強ができない子供の面倒を見るほうが先なのに、表面だけつくろってごまかしていたり。

本当は、私だって、大好きだった彼と結婚して、夫婦で協力しあって子供達を育てて、毎年1回家族で海外旅行へ行って、子供達に私立中学を受験させて、大学だってどこでも選べるようにできたはずだ。元夫が不貞なんて働かなければ。。

本当の私の理想は

夫がいる妻であること
子供達もニコニコと素直であること
家族で協力しあって豊かな暮らしをしていること
仕事にも満足していること
もっと経済的にも恵まれていること

でした。でも、その理想は、「結婚生活が破綻したことで叶えられなくなった。。」そういうふうに、いつも思ってきました。

つまり、今の自分を冷静にとらえれば、叶えられるはずもない「理想」を追いかけすぎて、「こんなのは本当の私ではない」と錯覚していたのです。

つまりは、「理想」に負けていたのです。

でも。。

その理想は、必ずしも誰にとっても幸せなものでしょうか?というか、そういう理想を追い求めることだけが幸せなのでしょうか?その理想は、現実的に叶えられるものなのでしょうか?

私は、「思い描いた理想」に負け、もっと大きな理想があるはずだ、自分はもっとできるはずだという「万能感」にとらわれ、45歳のとき、築き上げたものを自ら捨て去り、無職になってしまいました。

仕事を失い、貯蓄の8割を失い、丸裸の自分になったときに、ようやく気付いたのです。

「大きすぎる理想」に負けていたということに。

全てを失ったときに、私は、持っているものを確認してみました。

・家族
・健康
・住む家
・貯蓄の2割
・車
・勉強をして取得した資格
・仕事の経験
・数少ない本音を話せる友達
・読み書きができる力
・希望
・等身大の自分で生きようという気持ち

結構沢山持っていました。

そして、今の世の中を生きるにあたって、健康・家族・住む家・貯蓄の2割・資格や仕事の経験というものは、これからだって自分を助けてくれるものだということに、気付くことができました。

そして、「理想」という妄想に負けずに、等身大の自分で生きていくことを誓いました。

もしかしたら、この大切なことに気付くためには、「万能感に負けた失敗」すら、必要な過程だったのかもしれません。少なくとも、これまでの私にとっては。

「高すぎる理想」に負けず、「現実」の幸せを受けとる

「等身大の自分で生きていく」と決めた私は、これまでの仕事の経験や資格を丁寧に整理して、就職活動を始めました。

理想の仕事は、「完全週休二日で、お給料も高く、楽しい職場でのやりがいのある仕事」です。でも、そういう「理想」ばかりにとらわれてしまうと、理想から一つでも外れた仕事を選ぶことはできなくなりますし、そもそも、そんな理想的な仕事なんてありません。

高すぎる理想に負けて、現実的な打ち手を逃さないことが大切です。しかもその「現実的な打ち手」は、自分の思い描くような理想よりも、実質的な経済価値をもたらしてくれたり、現実の生活を切り開かせてくれたり、実は「理想」よりも、価値があるものかもしれないのです。

ですから、「理想」を実現する努力はもちろん崇高なものですし、それをしないほうがいいとは言いませんが、「高すぎる理想」は要注意です。

「理想」を追い続けるあまり、「現実」をおろそかにしてはいけません。

そういう観点で、自分のキャリアや資格を客観的に棚卸をして、45歳という年齢、これまでの経験や資格、自分がやりたい、やれると思うことを、半分でもできる仕事ならば幸せだ、と気持ちを切り替えて転職活動をしました。

そうしたところ、大学時代に取得した資格を生かせる仕事に巡り合い、就職にこぎつけることができました。

その仕事に就いた今。

「理想」なんていう大きなものではありませんが、大学時代に興味を持って勉強した内容なので、とても楽しく仕事をしています。前職よりもお給料は下がったし、休日日数も減りました。でも、仕事内容は前職よりずっと楽しいし、前職であったような長時間労働や県外異動の不安はありません。

「理想」かどうか、なんて、気にすることもなくなりました

「今、私は、私の力で仕事をさせていただいている。
自分の人生を生かせていただいている。
家族と食べていけるだけの仕事をさせていただいている。
待っていてくれる仕事の仲間や、相手がいてくれる」

それが現実で、それが圧倒的に私の人生であり、生活であり、とてつもなくありがたく、幸せなことなんだと思っています。

「高すぎる理想」から解き放たれると、本当に自由になります。

努力をして、一歩一歩実現していく「現実的な理想」を描き進んでいくことは良いと思います。

でも、あなたが今とらわれている「理想」が実現する道筋を描くことができない現実とかけ離れたものであるとすれば、勇気をもって、一度仕切り直しをしてください。

その理想は、本当にあなたにとって幸せですか?
手が届かないことで、余計にあなたを苦しめていませんか?
あなたにとって、幸せをもたらしてくれる理想を考えてみませんか?

「高すぎる理想」に負けず、既に持っている幸せに感謝して等身大の人生を歩んでいきましょう。

あなたはそのままで、十分に価値ある存在なのです。