このところ、中高年の引きこもりがクローズアップされています。
学校を卒業する時期とバルブ崩壊からの景気低迷期が重なり、「就職氷河期」に就職活動をしなければならなかった世代。就職、あるいは、その後の転職などがうまくいかなかったり、ブラック企業に勤めてしまったりして、何かのきっかけで社会との接点が持てなくなってしまって、そこから引きこもることになってしまった人たち。
私も同世代なので、まったく他人事と思えません。
実際、私の友達の幼馴染の方がずっと引きこもっているなんていう話を聞いて、いつも気にかかっていました。
ここにきて、川崎の殺傷事件、元農林水産省事務次官の長男殺害事件といった「ひきこもり」が原因の一つと言われる痛ましい事件が起きたり、80代の年金暮らしの親と50代の引きこもりの子供という意味の「8050問題」がクローズアップされたり、中高年の引きこもりに、社会の目が向けられるようになりました。
中高年の引きこもりは、随分前から問題だったと思います。でも、事件が起きたことで、やっとクローズアップされるようになったのでしょう。こうなる前に、打つ手はなかったのかと思います。
繰り返しになりますが、私も同世代。だから、まったく他人事と思えないのです。
さらに、私も、不本意の仕事を10年近く続けたことで、精神的に追い詰められ、最後には自暴自棄に近い形で離職をして、しばらく無職になったという経験もあります。
その後、幸い再就職できましたが、もし、再就職が上手くいかなかった場合、私だって、引きこもっていたかもしれません。社会との接点がなくなって、がんばっても結果が出ないと、プツンと気持ちも切れてしまいそうになるのです。
今、引きこもっている人たちだって、そうしたくてしているわけじゃないと思うんです。何かのきっかけで、がんばろうという気持ちの糸が「プツン」と切れてしまって、どうやって結びなおしたらいいのか、分からずにいるんじゃないかと思うんです。
もしかしたら、今、この記事を読んでくださっているあなたも、「プツン」と切れた気持ちの糸を、どうやってもう一度結んで、紡いでいったらいいのか、分からなくなっているのかもしれませんね。
どうやったら、もう一度、社会と接点を持つ事ができるのか、「引きこもり」から抜け出たらいいのか、探しているかもしれません。
そんなあなたに、私は、教会へ行ってみることを提案したいと思います。
引きこもりから外への一歩に、教会をおすすめする理由
「引きこもり」から突然教会??なんて思いますか?
そうですよね。あなたが教会へ行ったことがないとしたら、無理もないと思います。
でも、教会って、想像するほど堅苦しいところではありません。大きな教会じゃなくていいのですよ。地元で小さく活動している、地味な教会で良いのです。むしろそういう小さな教会の方が良いかもしれません。
殆どの教会が、初めて来る方を歓迎してくれます。礼拝の度に、信者さんが持ち回りで受付などの係りをしていることもあります。そうすると、受付や世話役さんが、色々と作法を教えてくれるので全然心配もありません。
そして、聖書の言葉を読み、牧師さんのお話を聞く、それだけで、すごく心が落ち着きます。
それに、なんといっても、「外へ出る」ことができるのです。人とかかわるのが怖ければ、殆ど話をしなくても大丈夫ですよ。
聖書を持っていなくても大丈夫。礼拝の最後の方に「献金」をする場面がありますが、金銭的に余裕がなければ、献金しなくても大丈夫。
やることは、ただ「行ってみる」こと。それだけで大丈夫です。
私が教会へ行き始めたのは、45歳でいったん無職になってから再就職が決まった頃です。
あまりに色々なことがあり、心を落ち着かせることができる場が欲しいと思っていました。そして、ふと、子供の頃通っていた日曜学校を思い出したのです。
調べてみると、その日曜学校をやっていた牧師さんが小さな教会を作り、今でも礼拝をしてくださっていることが分かりました。そこで、ある日曜日に、ふらっと行ってみたのが始まりです。
教会で一番ポピュラーな礼拝「日曜礼拝」に参加したのは、25年ぶりくらいでしょうか。本当に久しぶりに行ったにも関わらず、牧師さんは私のことを覚えていてくれました。私が子供の頃、黒髪だった牧師先生は、白銀の髪になり、あの頃と変わらない笑顔で迎えてくれました。
「よく来てくれましたね。元気にしていましたか?これまで、大変なことはありませんでしたか?」
そんな風に落ち着いた声で語り掛けてもらったら、もう、それだけで胸がいっぱいになってしまいました。
聖書と聖歌集を貸していただき、世話役係りをしてくれた信者の方の隣に座らせていただいて、25年ぶりの日曜礼拝に参加しました。
聖書を読み、聖歌を歌い、牧師さんのお話を聞く。
通常の日曜礼拝は、シンプルには、それだけです。でも、その決まった流れがなんとも心落ち着くものでした。
礼拝の間は、一つひとつの流れに集中して、司会の方の指示に従って同じようにやれば良いだけです。
「一つ一つに集中する」ことは、それだけでも瞑想につながります。
そのためでしょうか。私は、25年ぶりの礼拝の間、子供の頃からこれまでの大変だったこと、乗り越えてきたこと、とりとめもないことが思い出されて、涙が流れっぱなしでした。
牧師さんはもちろん見ていらしたでしょうが、特に何も言わずにいてくれました。
礼拝後、また牧師さんとお話しました。何を話したわけでもないのですが、「ここに来た」ということだけで、何かが変わったことを感じて、清々しい気持ちで教会を後にしました。
あなたが引きこもっているとしたら、最初の一歩はちょっと勇気が必要かもしれません。でも、行ってみればそれだけで、最初の一歩は踏み出せたということ。
牧師さんは、あなたの苦しみや気持ちに寄り添ってくれる度量を持っている方がほとんどです。
また、教会によっては、日曜礼拝以外にも、おしゃべりする場や、お食事会なども行っています。初めての礼拝参加をきっかけに、できるところから参加していってみると良いと思います。
一番ポピュラーな礼拝「日曜礼拝」に参加してみよう!
一般的に教会で一番ポピュラーで、初めてでも参加しやすい礼拝は、日曜日の礼拝です。
私が通っているバプテスト系の教会では、「日曜礼拝」と言います。カソリックの場合は「ミサ」と言われるようです。
時間的には、10時頃スタートで、1時間~1時間半で終了するものが多いようです。
私が行ってる教会の日曜礼拝を例に、大体どんな流れで礼拝が行なわれるのかをご紹介します。
礼拝のスタートは、日曜日の朝10時。私は自宅から歩いていきますので、野の小道を散歩しながら5分ほど前につくように出かけます。
教会についたら、聖書と讃美歌集を借りて、席につきます。席は自由ですが、初心者の方は、お世話をするのが得意な信者さんの隣に座らせてもらいます。
席に着いたら、心を静めて礼拝のスタートを待ちます。
礼拝が始まったら、司会者の方の指示に従って進行していきます。
私が行っている教会の進行は、こんな感じです。
前奏 --- オルガンの音楽を聴きます
賛美 --- 讃美歌を歌います
主の祈り -- 「主の祈り」という決まりの祈りを捧げます
使徒信条 -- 基本信条のようなものを朗読します
賛栄 --- 讃美歌を歌います
祈祷 --- 司会者の方によるお祈りの言葉
交読 --- 旧約聖書の「詩編」の一節を朗読します
賛美 --- 讃美歌を歌います
聖書朗読 -- 聖書を朗読します
説教 --- 牧師さんのお話を聞きます
祈祷 -- 牧師さんによるお祈り
賛美 --- 讃美歌を歌います
感謝献金 -- 献金します(無理しなくて大丈夫です)
頌栄 --- 讃美歌を歌います
黙祷 --- お祈りします
基本的に、聴いて、歌って、聖書を読んで、お話を聞いて、お祈りする、という流れです。
難しいことは何もないので、ただその場にいて、司会の方の進行に従えば大丈夫。
礼拝そのものは、結構淡々としています。讃美歌や、聖書の朗読、牧師さんの説教のテーマは毎回違いますが、流れはいつもこのような感じ。回によっては、礼拝の後にお誕生会をしたり、入会する方の儀式があったりします。
シンプルな流れですが、一つ一つをこなすことで、その時その時に集中する「瞑想」の効果もあり、心落ち着く時間です。
もし、あなたが、仕事を辞めていたり、友達とも疎遠になっていたりして、外へ出るきっかけを失ってしまっているとしたら、敢えて、知っている人が少ない「教会」という場に行ってみるのも良いかもしれませんよ。
何も無理することはありませんよ。ただ、外へ出るきっかけの一つとして、教会の礼拝に行ってみることも検討してみて下さいね。